卒業生の声

私の自慢の最終学歴です

近藤 浩己 
(フリーライター)

入学したのは38歳の春。ただ「文章を書くのがちょっと好き」なド素人でした。
そして卒業後、ライターズオフィスに従事しながら、フリーライターとしても活動しています。各種情報誌や専門誌、インターネットのニュースサイトなど、媒体はさまざまです。

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振り返ると、教室での一年間ほど「充実」を実感した期間はなかったように思います。
親子ほど年の離れた同期といっしょに教室新聞を作ったり、飲み会で同じ目線で語り合ったり。目的を共有できる仲間と話す時間が、こんなにも楽しいものだと初めて知りました。
そして夢を語れることが、どんなに幸せかを知りました。
飲み会では先生方が「どんな道に進みたいの?」と聞いてくださり、「こうなりたい!」「ああなりたい!」と話しているうちに、ぼんやりしていた自分の夢が、少しずつ見えてくるようになりました。

その夢がカタチになったいま。
「大阪編集教室卒業」は、私の自慢の最終学歴です。

「書く人」になりたい

林 雪乃
 (大学生)

大阪の堂島にあった紅茶専門店。そこに置いてあった冊子に目が留まりました。
<本が好き・文章を書いてみたい人、募集>
小学生のころから本の虫だった私は、わくわく。
「オモシロいし、本好きの私にはぴったり。興味があるくらいで来てもいいって書いてあるし……行ってみようかな」
それからしばらくして大学生になった頃、大阪編集教室の生徒になりました。

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興味本位で入ったはいいものの、周りを見ると立派な社会人の方ばかり。
大学生の私は、場違いなところに来てしまった……と気おくれしていましたが、同期のみなさんが温かく迎えてくれました。
先生方をはじめ、編集教室で関わった方々は今でもとても大きな存在です。ユニークな方が多くて、飲み会に行く度に話を聞くのが楽しみでした。

正直、卒業した今でも文章を書くのはとても難しいと感じています。自分の文章に自信がないし、どう解釈されるのか不安になります。でも読み手一筋だった私が、書き手の立場を知りました。その苦労や気遣っていることを覗くことができたのです。

学んでいくうちに、私も『書く人』になりたいと思えました。
これからもなんらかの形で書くことと関わっていきたいと思っています。
思い切って一歩を踏み出し、編集教室に入ったのは良い選択だったと思っています。

一歩踏み出す

辻 貴之 
(デザイナー)

仕事の幅を広げるために入学した大阪編集教室ですが、卒業してみると仕事の幅どころか、軌道修正せざるを得ないほど多大な経験ができました。
一番は先生方や他の生徒との関わりだったと思います。

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スキルの向上というよりも、誰と何を話し、何を行動して過ごすのか。
卒業時には充実という言葉では表現できないぐらい、たくさんの人たちとの関わりをもってすごせました。

考え込むよりも、一歩踏み出すこと。逃げ出さずに行動すること、
そこから得るものが自ずと自分のためになるはずです。

夢を育てる場所でした

小坂 歩 
(編集プロダクション勤務)

大好きな「旅」を大好きな「本」という媒体を通して発信する仕事ってなんて素敵!という非常に単純な気持ちで編集者を志した私ですが、現に今、海外旅行ガイド制作の仕事に携わることができています。

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私が今ここに立てているのは「大阪編集教室のおかげ」といっていいくらい、教室に通った1年間は大切な時間でした。
趣向を凝らした実践タイプの授業はもちろん、それ以上に同じ志をもつ仲間や講師の方々との会話は刺激に満ちていました。
その中で、「本」に関わって生きていきたいという気持ちをぐんぐん育てることができました。そしてその熱意だけを武器に、仕事を得ることもできました。

きっとこの編集教室は、新しい人生を踏み出すためのスプリングボードになりうるはずです。まずは一歩踏み出してみて下さい。

恐ろしい楽しさに、翻弄されませんか?

藤本 あつみ 
(フリーコピーライター)

「編集者になりたい」。「文章を書く仕事がしたい」。
この教室に入学する理由は人によってそれぞれだと思いますが、私の場合は恥ずかしながら「なんかカッコイイじゃ~ん」という浅はかなものでした。
そんなはじまりなので、まず入学して仲間の熱意に驚き、ラッキーで入れたコピーライターの会社では天狗のように伸びた鼻がボキッと折られ、自分の無力さに涙した日もありました。

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そして入社5年目のある日、社長とお酒をのみながら仕事について
熱く語っていたところ「あんたも、ハマったな」と、ニヤリと笑いながら言われたのです。
確かにこの仕事はつらいです。頭から湯気が出そうです。
でも、一度やったらハマってしまう“毒”のような恐ろしい楽しさがあります。
だからこそ私は、フリーになってまで続けているのでしょう。

はじめる理由は何だっていいんです。一度やってみてください。
中毒仲間が一人でも多く増えることが、今の私の楽しみです。ニヤリ。

人生を深めてくれる

沖 知美 
(印刷会社で企画・編集担当)

ライターに憧れ、大学4年生の時に教室に通い始めました。
求人を紹介していただいてがむしゃらに仕事を始め、気づけば10年近くになります。
商業誌、料理、旅もの、スポーツなど、さまざまな媒体制作に携わらせていただいています。

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この仕事を始めてしまえば、やめることはできません。
その道のプロに会ってさまざまな話を聞き、皆さんにお伝えしながら、どんどん見聞が広がって自分の人生を深めることができるからです。
好奇心、探究心は底知れず。生みの苦しみを感じる時もありますが、やはり媒体となって形が残れば達成感は格別です。

教室の先生方には、何もできなかった私にチャンスを与えていただいて本当に感謝しています。厳しく評価していただいたこと、「やるならとことん」と鼓舞していただいたこと、今でも心に残っています。
「この教室に飛び込んでよかった」と、何度も何度も思いました。
これからも、やりがいに満ちたこの世界で、多くの仲間に出会うことを楽しみにしています。

何事にも代えがたい、充実感に満ちた仕事

今 麻美 
(フリー編集者)

編集プロダクションに勤め始め、3年後、30歳目前にして仕事の幅を広げるために上京。2社目の編集プロダクションを経て、現在はフリーランスとしてありがたい条件で働かせていただいています。
あの時、教室へ行くことを決めた私は、編集業界でここまで頑張れるとは夢にも思っていませんでした。
まさか東京でフリーの編集者として働いているとは、自分が一番驚いています。

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私の原点は、まさに大阪編集教室にあります。
「何のために書くのか?」「出版業界で働くこととは……」といった、深いところについてもたくさん考えさせられました。
課題をこなしながら自問自答の繰り返し。何を見て、何を考え、何を想うのか。そして、それらをいかに文章に込めるのか、写真に写し出すのか。
大変だけどおもしろい“自分と向き合う時間”があったから、いまプロとして認められる仕事ができています。

出版業界は大変だと世間では言われています。確かに、9~17時といった公務員のような働き方は難しいでしょう。
でも、思い描いたことが形になる喜び、多くの人に認めてもらえる感動、どんどん広がっていく人との繋がり、それらは何事にも代えがたい充実感を与えてくれます。
私は、一生、編集者として働いていきたいと強く思っています。

価値ある編集・ライティングを今こそ!

藤原 武志 
(編集者・ライター)

教室に通いはじめたのは27歳のときでした。たまたま見つけた教室の案内を見て、「こんな仕事もええな」と思ったことがきっかけです。
講義はいつも別世界。
「世の中にはこんなことを考えて、文章を書いたり、本を作ったりする人がいるんか…」と驚いたものでした。

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そんな私が、文章を書いたり、本を作ったりする人になり、現在はフリーで活動しています。
さらには大阪編集教室で講師までさせてもらっているんです!

というと、いいことづくめのようですが、昔に比べて出版業界は右肩下がり。
でも、町やモノ、人の魅力を伝えるという、編集・ライティング本来の意義は、これからも多くの人が求めること。

だからこそ今、トライする価値がある仕事だと思うんです。
少しでも興味がある方は、ぜひチャレンジしてもらいたいです!

「なぜ」の気持ちを忘れず

金子 真由 
(フリーライター)

今は音楽新聞の記者の仕事をしています。記者会見に行き、写真をとりメモをとりながら「記者っぽい自分」ににんまりしています。
教室ではよく「そこに、どんな想いが込められているか」という「どんな、何故」の追求がいかに大事かを教わり続けました。それは私にとって文章を書くことだけでなく、日常の生活で足りなかったことでもあり、いろんな意味で成長させてもらった気がします。

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これからはオペラ見聞録など書かせてもらえるとのこと。
そのために舞台を観て、演出家や指揮者の方に裏方の話を聞かせてもらいます。
ちょっと的外れかなと心配しながらも「どんな、何故」という気持ちに素直に質問するようにしています。

本当の想いをくみとり、記事にして、知らない誰かに届けることができる。そんな夢だった仕事をしている今に、感謝の気持ちで一杯です。

なんとなくから、はっきりとやりたいことに

藤田 大輔 
(旅行雑誌の編集・ライティングを担当)

漠然とやりたいことはあるけれども、何から始めたらいいのかわからない。
なんとなく見つけたのが「大阪編集教室」でした。
「個」を大切にしてくれ、表現したいことを尊重してくれながらも基本はしっかり。
授業後はお決まりのように飲みに行っては、夢なんか語ったりと居心地のいい環境でした。

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その中で、いろんな課題の発表や意見の交換をしているうちに自分のやりたいことが輪郭を持ってはっきりとしてきました。

現在は編集プロダクションに勤めていますが、なによりタメになっているのはそこで出会った仲間たちと講師方のモチベーションの高さ、そして遊び心の豊かさです。
ときおり耳にする広告・出版業界での仲間たちの活躍にいつもやる気をもらっています。ここは今でも刺激的なスタート地点です。

卒業後になりたい自分を追いかける

小猿 達哉 
(コピーライター・ディレクター)

通い始めた当初、私の文章に対する意識は「なんとなく」以下の、本当に興味本位レベルでした。知識もなければ技術もなし。
それが今やコピーライターという肩書きで文章を書き、時には企画提案することやディレクターとしても働くようになりました。

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大阪編集教室の魅力は、本人の行動次第でそれぞれの段階に合わせた結果を求められるところです。文章力・編集力の上達を目標にすることもできるし、職業を目標にすることもできます。
加えて、教室に来る人たちの根本にある「文章に興味がある」という共通した思いは、ここで過ごす時間を本当に濃いものにしてくれるはずです。

「大阪編集教室での授業を終えた後に、どんな文章を書ける自分になりたいか」を思い描きながら、ぜひ授業を受けてみてください。

人のつながりを大切に

安藤 美冬 
(編集者・フリーライター)

教室ですごした1年間で得た大切なものは、専門的な知識や技術はもちろんですが、夢や悩みを共有し切磋琢磨できる仲間たち。そして先生方や先輩方とのご縁です。
ライター・編集者の道を歩みはじめたきっかけも先輩からの紹介でした。

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現在は雑誌やフリーペーパーの企画のリサーチからスケジュール調整、ディレクション、取材、ライティングに携わっています。
自分の足で歩き、見聞きし、味わったことを自分の言葉で伝えること。
そして驚きや感動を読者に共感してもらえることを目指しています。

一つ一つの仕事こそ地味な作業ですが、取材させてくれた方や制作に関わるすべてのメンバーが力をあわせることで、一人では創れない大きなものが生まれます。
いつでも人との出会いやつながりを大切にして、人の手の温もりが感じられる仕事ができたらと思っています。

学ぶことの楽しさを、学べる教室

木本 コウユウ 
(プランナー&ライター)

この知らない世界に飛び込んだのは35歳の時でした。
文章などの勉強をして本当に身につくのだろうか。
顔を合わせるクラスにとけ込めるのだろうか。
ですが、そのような心配事はあっさりと消えました。

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講師の方々の文章に対する熱心さに圧倒され感銘を受けました。
熱心さを真似ていくうちに、自分の中でそれは楽しさへと変わっていきました。

授業帰りに受講生同士、時には講師の方々とも有意義な時間を過ごせました。
そして今なおその関係は続いています。
この教室では学ぶことができました。
学ぶことの楽しさを。
それは文章の世界と、人とのつながりでした。

電機メーカーから念願の出版業界へ

橋本 直樹 
(出版社勤務)

11年勤めた電機メーカーを退職し、今は出版社で勤務しています。
そのきっかけは、大阪編集教室の門を叩いたところからでした。
文章を書く知識から編集の技術まで幅広く学ぶことができ、授業の時間はいつもあっという間。充実した時間を過ごせたことが、学生時代から長年希望していた職業に就くという夢につながっています。

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出版社に勤めてみて痛切に感じるのは、いかに売れる本を作るべきかということと、いかに書店への営業ができるかということです。

とにかく、電機メーカーに勤めていたのでは会えないような人たちと出会える職業なので、辛くてもがんばっていこうと思いながら、編集と校正に明け暮れています。
みなさんも目指す夢へとつながるチャンスとめぐり合えるようにがんばってください。

人生のガソリン満タン!

植野 和美 
(キャリアカウンセラー、心理カウンセラー、カラーセラピスト)

主婦でした。編集教室に入って本気で「書く」ことを学び直す!と決めたのは二人の子どもが小学生の時。
家族に頭を下げて協力を頼み、毎週土曜に登校。母ではない自分に久々に出会い、日々起こる様々な出来事が新鮮でただ一生懸命学びました。
卒業制作の取材で何度もたつの市を訪ね、子どもを連れて取材に行ったこともありました。本当に面白かった! 楽しかったです。

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編集教室の学びは講義を聞くだけではない。実践型です。
知っていることとできることは違います。実践しないとできるようにならない。またやらないと自分が今、どのレベルかさえわからないし、磨かれない。ここでは、実践にもチャレンジできるのです。

背中を蹴っ飛ばされて取材へ行き、原稿を書き、皆の前で発表。
現場で活躍されている先生方の高い専門性プラス親身なアドバイスをいただく中で、ライター技術を学んだだけだなく、働く人の在り方、心をつかめたことはその後の人生の宝であり、尽きないガソリンです。

現在、就労支援、心理カウンセラー、セミナー講師等、対人支援業務に関わっています。業務でのワーク作成、セミナープログラム企画、テキスト、チラシ作成などは編集教室で学んだからこそ、なんとかこなせています。
またカウンセリングで人の気持ちを理解し、言葉をつむいでいくことはまさに取材、記事作成とつながっていました。

私たちは日々の仕事、人生で編集作業をし続けていると思います。いろんな方々が編集教室で学んで、自分の人生をよりよくしていくきっかけにして頂けたらいいなと願っています。

負け戦のあとの達成感を味わおう!

日下 都 
(薬剤師・ライター)

教室を卒業してから、教室に通って本当によかったとしみじみ思うこの頃です。
ライターと名乗れる(いや、勝手に名乗っている)自分ににんまりし、ライターになったり編集プロダクションに勤務する卒業生の友人とユニークな話題で食事をする。なんて楽しいんでしょう!
1年前なら想像しなかった自分です。

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教室の課題をこなすには、しなければならないことがたくさんあります。
見知らぬ場所・久しぶりの場所に1人で行き、時には緊張しながら人に声をかける。
「取材」する自分に酔えるいっときです。
そして、迫り来る提出期限と腹が立つ字数制限に戦いを挑むも、あえなく敗退。失意のまま、課題提出。

先生方の鋭い指摘に落ち込みつつ、書くのが好きだーと心の中で叫ぶ矛盾する自分に気づくのです。
真摯なそして親しみやすい先生方と個性的な仲間とともにすごした後、ど根性のついた思っても見なかったご自身に出会えるでしょう。
ぜひ、ペンのみを持ち参戦ください。

転職したからには楽しみたい

相原 真紀 
(新聞社勤務)

「取材と称して、食べ歩きができるかも」といった浅はかな考えからライターへの転職を考えた私。ライターの仕事を始めて1年半が経ち、確かにそれは実現しました。
でも、そんなおいしい取材ばかりであるはずがありません。
(まぁ、ちょっと考えればわかることなのですが)

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炎天下での体を張った取材や、取材前の基礎知識を得るため、何冊もの文献を熟読しなければならないものまで、さまざまです。
特に苦労していることは“写真撮影”。
よほど難しいもの以外は、すべて自分で撮ります。文章に合っていなかったり構図が悪かったりで、最初は何度も悔しい思いをしました。たとえカメラマンが同行のときも、どういうイメージで撮ってほしいかを的確に伝えなければなりません。
現在、まだまだ勉強中というところ。

今の会社は、企画からレイアウトまで関わることができるという点で、まさに希望どおりの仕事といえます。
編集教室では、“公に出される活字の影響力と怖さ”について嫌というほど叩き込まれましたので、今のところ取り返しがつかない失敗はありません。
(なんとかごまかせる範囲のものは多数あり)
それでも一面特集を担当したときなど、刷り上った紙面に目を通すのがいまだに怖い、“へなちょこライター”です。

これからも初心を忘れることなく、楽しみながらやっていくつもりです。自分で選んだこの仕事、楽しまないと転職した甲斐がありませんから……。

教室での課題で取材のおもしろさを知った

塩屋 薫 
(フリーライター)

課題を書くために、勇気を出して「お話を聞かせてください」と初対面の人に声をかけたことは今でも忘れられません。
あの一瞬から、取材のおもしろさを知り、もっと自分の知らない世界で生きている人の話を聞きたいと思うようになりました。

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ライターとして働き始め、いちばん強く感じていることは「文章は自分だけのものではない」ということ。
初めて書いた記事は、京都の紅葉の名所についてでしたが、お寺の方や編集者、先輩ライターに何度も文章を見てもらい、作業は明け方まで続きました。

完成した本を見た時、最初に書いた文とはかなり違うものになっていましたが、いろんな人の思いがつまっているように感じました。
「自分が何を書きたいか」ではなく、「相手に何を伝えたいのか」という気持ちで、本は作られていくものだと思います。

取材で、素敵な人、おいしい食べ物、美しい景色に出あうたびに、自分の文章力のなさに気づかされる毎日ですが、そんな時は、教室のことを思い出します。
ドキドキしながら自分の作品を発表したこと、帰り道に大阪城公園の夕焼けがきれいだったこと、みんなで終電ぎりぎりまで語りあったこと。

そんなことをひとつひとつ思い出しながら、また明日からも「書く」ことに、真剣に向かい合っていきたいと思っています。

“生きる”が“活きる”に

馬田 喜博 
(編集プロダクションで取材・ライティング)

編集プロダクションで働き始めてもう半年。実にあっという間でした。
やっぱり仕事が楽しいと、生きることが“活きること”になるみたいです。

ライターという職業につきたくて、大阪編集教室の門を叩いたのが、今から約1年前。ライティングや編集の勉強ができるのが、すごくうれしくて「この道は外せない」って心から思えました。

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現在は、仕事で使う名刺の「Writer」っていう肩書きを、「外せない」って心に誓っております。もちろん、肩書きなんてどうでもいいことですけど。

とにかく文章を書き続けて、もっと上手になりたいですね。
取材を受けてくださった方や、原稿を依頼されたクライアントさんから「やっぱりプロは違いますね」と、ギラギラ目を輝かせて喜んでいただく。
ケツの青い僕の当面の目標です。

原稿には誠実に臨み、真実の言葉で書く

みつながかずみ 
(フリーライター)

ライターとして心がけているのは、真実の言葉で語ることだ。自分で歩いて、自分で見て、自分でさわり、心が鼓動したものだけを、本気の言葉で書いていく。これに尽きると思う。

書くことは見つめることだ。書きながら、何をどう伝えるのかを考える。静かに集中して。誠実に書き、誠実に推敲して。

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するとある瞬間に降ってくるのだ。自分がもっとも伝えたかったことが。
それまで我慢強く待つ忍耐も必要。言葉が一人で歩きだし雄弁に語りすぎることのないよう、リアルなものだけを書いていこう、とよく実感する。

大阪編集教室を卒業して、はや5年。挫折と再生の繰り返しの日々だった。
ただあの日あの教室で出会った、大きな懐をもった講師陣やあたたかい事務局の方々、仲間たちと過ごした時間があって、今の自分があることを忘れない。時に厳しく、時に心やさしく。
自分を見守ってくれる「古里」があることに、心から感謝したいと思う。

さまざまなカタチで「書くこと」を楽しむ

松本 けい子 
(フリーライター)

教室を卒業してずいぶん経ちました。編集の世界に身をおいてから、人生が明確になったように思います。
自我とどう向き合い、どう生きるのかとそれまで混沌としていた将来に答えが浮かび、じわじわと道が開けるようでした。

今でもふと「あのとき編集教室に入学しなければ今頃どうしてたかな」と思うときがあります。

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それはそれで平穏でよい道を歩んでいたかもしれません。
書く・作るとはエネルギーを要し、時に自身の弱点を見つめなければならないしんどい作業ですから。
でも、そこから得た喜びやかけがえのない仲間との出会いを思うとき、やっぱりこの道を選んでよかったという結論に辿り着くのです。

記者生活19年、新たなチャレンジへ

若林 朋子 
(フリーライター)

大学に在学中、新聞記者を志し、就職活動の一環として大阪編集教室に通いました。
母校はいわゆる「有名大学」ではなく、先輩から「OB訪問は難しいし、採用する側は学閥などの人脈を持った人をほしがる。即戦力と評価される何かがないと内定は無理」といわれ入学を決意。

講師の先生方からは書く技術だけでなく、「物書きとしての覚悟」を学び、就職活動を乗り切る原動力ともなりました。

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その後、北陸で19年近くの記者生活を送り、挫折しそうになるたび温かい励ましをいただきました。現在、40代です。諸事情から新聞社を退社し、新たな道を模索しています。
人生の転換期に大阪編集教室の関係者と再会し、叱咤激励を受けました。「1日1日を積み重ねる新聞の世界からもう少し長いスパンで取材し、残る原稿を書くことができればいいなあ」。
そんな思いを確認しつつ、先生、先輩方の助言を受けてチャレンジする気持ちを温めています。

さまざまなカタチで「書くこと」を楽しむ

北田 万知子 
(コピーライター)

「書く仕事がしたい」そう思い立って2年。
技術も人脈も何もなかった私が、たった2年で本当に書く仕事に就いた。

あの時本屋で編集教室のパンフに出会っていなかったら。あの時の授業で課題を出さなかったら。
そう考えると、出会いとタイミングは大切にしなきゃとしみじみ思う。

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現在はコピーライターとして通販カタログの制作を中心に、取材やインタビューなどさまざまな仕事をしています。
ぼんやりと思い描いていた「書く仕事」のイメージは、毎日いい意味でも悪い意味でも裏切られつづけていますが、それもまた結構楽しいものだったりします。

書いていて感じるのは、読み手との「距離感」。
このバランスがなかなか難しく、少しずつでも自分の感覚でつかめるようになればと思っています。また編集教室は「楽しむこと」が私の原動力であると再確認できた場所でもありました。
ここで出会った友だちとは今も一緒に文章を書いたりして、いろいろ活動をしています。やりたいことがあったら、黙っていないで周りの人たちに声をかけておくこと。これが実現の可能性を上げるイチバンの近道ですね。

今は実感を持ってそう言えます。

遠まわりでも、やりたいことにたどりつく

芝崎 美世子 
(創作サポートセンター代表)

「将来どんな仕事につきたいの?」
……子供の頃、大人たちにそう聞かれませんでしたか? 私はいつも返答に困っていました。本が大好きで、小学生の図書室にある本をほぼ読破。とくにSFマンガや小説が好きで、宇宙や恐竜にも夢中な理科少女でした。
そして、将来どんな仕事をしたいのかわからないまま、大学では文系に。卒業後もなんとなく外食産業に就職。当面の目標は「店長」でした。
でも、突然の交通事故にあい、後遺症で退職することに……。失業してやることもなく、この先どうしたらいいんだろう……。大阪編集教室の入学案内を見たのはそんな時期でした。

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そうしてコピーライターになった私。最初はきっと続かないだろうと思っていました。自分に何か書けるとは思えなかったから。
でも仕事だから書かなくちゃ……。仲間に励まされながら無我夢中で原稿をこなし、結婚後も3人の子供を育てながらフリーランスで仕事を続け、広告制作やイベント企画などをやり……。
あれからもう23年。本当にあっという間です。

今は専門学校の講師として映画やアニメ解説などをやったり、小説講座の運営をしたり。一方、防災や環境保全にも興味をもち、40代になってから、大学の理学部に3年次編入。若者に混じって実験や授業を受け、大学院にも進学。今も博士課程に在籍中です。

ふと気がつくと、いつのまにか好きなマンガや小説を読むのが仕事になっており、その合間に理学博士をめざして奮闘中……。あいかわらず家事や仕事、学会発表や論文執筆などで忙しい毎日で、なりたい大人になれたのかどうかわかりませんが、なにか子どもの頃に好きだったことをまだずっと続けているような気がしています。

うまくいかなくてイライラすることも多いけど、やりたいことはやってみよう。でも、まだまだ夢なかば。
この先も好きなことを追いかけてみるのも悪くないかなと思っています。

気になることがあれば